ホームスクールを始めたきっかけ

人見知りだった娘
私は、今から20年前に、ニュージーランド人の夫と結婚し、
二人の子供をもうけ、ファームで暮らしていました。
娘は、もともとシャイで、人見知りな方だったので、
学校が好きでない、と言っても無理はなかったかもしれません。
好きでないといっても、どれだけ嫌がっても、
学校へは行かせないとと、思って毎日、無理やり送りだしていましたが、
毎朝、大変な想いをしていました。
毎朝、夫と連携して、無理やり車に乗せて、
バス停まで連れて行っていました。
私は、日本の学校は好きではなくて、
子どもの頃は、仕方なく行っていました。
でも、ニュージーランドの学校は違うだろう、と思っていたのです。
クラスの人数も少ないし、
もっと自由な雰囲気、と思っていました。
学校に関わって、もっと学校のことを知ろうと、
ボランティアで、クラスや図書館の手伝いをしながら、
ティーチャーエイドというクラスアシスタントの資格を取ろうと、
勉強を始めていました。
まるで学級崩壊
でも、実際の現場を見ると、クラスは、
うるさくて、邪魔する子たちを注意するのに、
時間がとられて、ほとんど学級崩壊状態でした。
小さい学校だったので、2学年が一緒になっているので、
学びのレベルも様々。
自習時間が塗り絵。
映画のDVDを見せる時間もあったり、
正直、無料の託児所か?と思ってしまうほどで、
これで、苦労して、学校へ送り出す価値があるのか、
と思ってしまうほど、ひどいものでした。
そんな時に、ホームスクールというものがあり、
実際に始めたという人の話を聞いて、
じゃあ、やってみよう、と決意しました。
【自己紹介】
20年間ニュージーランドに在住し、現在は日本に永久帰国中。
30歳で、ニュージーランド人の夫と結婚、異国の地での結婚、出産、二人の子供をホームスクールで育て、離婚。現在は、平日は東京で翻訳の仕事をしながら、アクセスバーズの施術と普及活動をしています。
20歳の娘は今年大学3年生で、17歳の息子は高校3年生でニュージーランドに在住。
大自然に溢れたファームで子育てするという夢を叶えた一方、日本語で話す相手もいない環境と育児に疲れ、落ち込み、楽しみも見いだせない日々を過ごしました。
どうやったら幸せになれるのかという学びを続け、人生の転換と変化を繰り返しながら、ついに、意識と気づきに従うことで、人生を楽に自由に生きる方法を見つけました。
理念は、アクセスバーズという頭のポイントに触れて、体と遺伝子に組み込まれた制限や思い込みを解放しながら、自分の価値観にしたがった生き方をするための選択ができるように導きサポートし、幸せ人口を増やし、優しさと思いやりにあふれた世界をつくること。