日本の不登校に対するネガティブなイメージはどこからくるの?

目次
不登校の定義とは?
日本の文部科学省は、学校へ行かない子供のことを
不登校と定義してそう呼んでいます。不登校の定義、とは、文部科学省では、
何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、
登校しないあるいはしたくてもできない状況にあるために
年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの
不登校という言葉は、英語では存在しない
日本に帰国したときに、お子さんが学校へ行きたくない、行っていない、ということに対する、ネガティブな感情が強いことに、大きく衝撃を受けました。
日本語には、不登校や非行、不倫、など、言葉の裏に、相手を責めて罪悪感を持たせる、ネガティブな言葉がたくさんあります。
不登校=問題がある子供、家庭に事情がある、親に問題がある、など、、、
不登校で検索してみると、子供や親を責めるような記事、テレビでもそんな番組が多いです。
自由と選択を認めない文化から生まれた言葉
もともと文部科学省が作った言葉なんでしょうが、学校が行くもの、という前提があるからこそ、作られた言葉なんですね。
それだけ、日本では、自由と選択肢、人が違う考えを持つ、
というものが、許されていないのでしょう。
戦後何年経ったんでしょう?
日本は民主主義の自由で平和な国とみなされていますが、残念ながら、実際は、
相手の違いや選択を始めから認めていない、ひとつの考えを押し付けているからこそ、
これが正しいと決めつけ、そうでないものには、直すように説得する。
その一方的な考えが、日本が、学校に行かない選択肢を認めていない理由です。
学校に行かないことは問題ではない
だから、そもそも、お子さんが学校へ行きたくない、ということに、何の問題もないですし、
学校へ行かない、ということに、何の罪悪感も持つ必要もありません。
誰かが、自分に、罪悪感を与えているとしたら、そこには、ただの相手の押し付けしかありませんし、
誰も、人に、罪悪感を与える権利などありません。
学校へ行かない、ということを選んだのなら、他の選択肢を見つければいいことなのです。
国も少しづつ変わってきている
文部科学省も少しづつ、新しい考えを取り入れて変化してきているようです。
やっと、不登校を復学させる、のではなく、社会的な自立を目指すということに
変わったそうです。
フリースクールでの学習も出席日数として認められるようになりました。
ホームスクール、ホームスクーリングが認められる日がくるのも、
そう遠くないかもしれませんね。
文部科学省 「不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)」令和元年10月25日
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1422155.htm